08.09.03 カン・セジョン(イ・ジョンジェ)との運命的な出逢い Part 1

 全てが2006年4月16日(日)に向かって動いていた

『カン・セジョン』


 私が2006年4月16日(日)映画「タイフーン」に巡り逢うまでの長い期間、映画やテレビドラマをほとんど

 観なかったのには理由があります。10代後半から40代半ばまで、年間100冊ペースで読書を楽しんでいたからです。

 それでも20代前半の頃は、某出版・映画会社の「読んでから観るか、観てから読むか」のキャッチコピーに触発されて、

 随分「読んでから観た」ものです。ところが次々に失望し「原作を超える映画など無い」と思い込むようになりました。

 その間に、魂を揺さぶられるような数々の本に出逢い、すっかり「読んでから観る」も「観てから読む」をやめて、

 ますます読書に没頭するようになって行きました。


 私の読書の特徴は、導入部分を読んで主人公を始めとする登場人物と周囲の風景をイメージし、自分なりに物語の世界を

 作り上げてしまうことです。そうすることによって想像は無限に広がり、読書の面白さは何物にも代えられないものとなります。

 ただし、これは完全に独り善がりな自己満足の世界です。物語を変更することは出来なくても、自分の都合の良いように

 登場人物の外見も背景も何もかも全て自由に設定出来る読書の醍醐味を味わえば、与えられた映像を観るだけの映画や

 テレビドラマなどが、どんなに不自由で退屈なものかと感じてしまうのも仕方ないことだと思っていました。

 とにかく内外の幅広いジャンルに手を出して来ましたが、愛すべき一番肝心な点は一環してディテールがしっかりした作品

 でした。ディテール重視の作品を数多く読むことで、自分にとって未知の世界の知識を深めることが出来ます。たとえば単に

 「カメラで写真を撮った」ではなく、メーカー名、品名、型番が載っていたとしたら、そして、どんなレンズで、どんな撮り方

 をしたかまで書いてあれば、その作者の見識も思い入れも伝わり、何より私の想像の旅が果てなく続けられることなります。

 もうひとつの読書の傾向として、とにかく長編が好きでした。長ければ長いほど、その世界に長く滞在出来るからです。

 そして、それが未完で終わってしまっても構わない(むしろその方が良い)と思えるのは自分なりの結末が作れるからです。

 そんな私の趣向を全て満たしてくれた代表作品のひとつに、たとえば中里介山の「大菩薩峠」があげられます。


『愛読書の一部』


 話は脱線しますが、私の大好きな言葉を紹介します。 「ディテールにこだわることにより、伝えられるものがある」

 これは完成度の高い模型で知る人ぞ知る、愛知県にある模型会社の社長さんの言葉です。

 例えば第二次世界大戦のどんなに悲惨な戦争体験を聞くより、徹底的なリアリティ追求をモットーとしている彼の作り上げた

 戦車の模型「1/35九七式中戦車チハ」は、無言で多くを語りかけてくれます。この脆弱でマイナーな戦車が、日本戦車部隊

 の中核であった事実からも無謀な戦争が引き起こされ、どれほど多くの尊い命が犠牲になったかが鮮明に見えて来るのです。


『1/35九七式中戦車チハ』


 以上のようなことを書くと、何とも屈折した青春の日々を送って来た変わり者を想像される方も多いかと思いますが、それと

 平行して始めたスキューバダイビングにより、大自然に触れ世界中のダイバーと接する機会を得たことによって自分で言うのも

 変ですが、バランスがとれたとでも言えば良いのでしょうか、辛うじて普通の人でいられていると思います。海での多くの

 出逢いや体験はかけがえのないものでした。そもそも小学生の時に観たダイバーの活躍を描いたドラマ「エンデバー号の探検」

 (原題 Barrier Reef" 1971)と、返還間もない小笠原諸島の美しい映像に感動したことがきっかけでした。当時、レジャー

 ダイビングは一般的でなく、子どもの私にとってダイビングは特別なことであり夢の又夢でもありました。


『エンデバー号の探検、初代おがさわら丸、小笠原諸島父島、聟島列島ケータ マグロ穴』


 ダイビングは一般的でなく、子どもの私にとってダイビングは特別なことであり夢の又夢でもありました。

 それから10年後の1981年、時代は急激に変化をとげ、誰でも簡単にダイバーになれるようになり、さしたる努力もせず

 簡単に夢が叶えられてしまいました。そしてすぐに念願の小笠原諸島へも行く機会を得ました。ただし当時、海外での

 ダイビングは、為替が1ドル360円から変動相場制に変わってまだ間もないこともあり、ドラマ「エンデバー号の探検」の

 舞台になったオーストラリアのグレートバリアリーフに潜りに行くには、サラリーマンの平均的月給の半年分が必要でした。

 そして当時、世界の3大ダイビングスポットとして紹介されていた残りの2ヶ所パラオ、モルディブも、ほぼ同額が必要だった

 ので「いずれ、お金を貯めて、この3ヶ所に行こう」と決心しました。ところが時代はまた急激に変化し、円高・バブル経済…

 またしても簡単に世界3大スポットを制覇したのでした。


『グレートバリアリーフ、パラオ、モルディブ』


 簡単に叶った夢に価値は少なく、また、パラオとモルディブが私にとっては期待はずれだったこともあり空虚な想いにとらわれて

 しまいました。小笠原は何度も行きたい素晴らしいところでしたが、東京都でありながら1000キロの距離をたった一隻の船が

 往復しているだけの状況でダイビングを楽しむには最低約2週間が必要、私にとって世界で一番遠い場所となり、結局仕事の

 関係で再び行くことはどうしても出来ませんでした。それで暫くは、グレートバリアリーフとミクロネシア方面他にあしげく通って

 いましたが、そこで知り合ったダイバーから「マレーシアに究極のスポットがあるらしい」と聞いた瞬間から、ダイビングに関する

 方向性に少し変化が生まれ始めました。

 マレーシアのボルネオ島(インドネシアではカリマンタン島と呼ぶ)の東岸セレベス海に位置する究極のスポット、シパダン島

 へは往復4日間の移動時間が必要でしたが、小笠原と違って飛行機は毎日あり、土曜日に出発して翌日曜日に戻る日程が

 組めた為、仕事を続けながら、通うことが出来るようになりました。一度でシパダン島の虜になった私は、熱病に冒されたか

 のようにダイビングに夢中になり、そこに大きな危険や落とし穴があることに気づく余裕もありませんでした。

 危険と言ってもホオジロザメ(ジョーズ)が出るとか、海況が激しく変化するとか、そんな問題ではなく、そこは海賊とイスラム

 教過激派の横行する場所だったのです。島のガイドから「島に海賊が上陸して銃撃戦になり、一晩をジャングルで過ごした」と

 言う話を聞いても何か自分には関係ない次元のことで「私が行っている時に限っては平気」と安易に思ったところなど、今にして

 思えば自分に呆れてしまいます。私の自分勝手な理論で「事件が起きると軍が重点的に警戒してくれるから、かえって安全

 なもの」と考え、現にマレーシア空軍と海軍の巡回が頻繁にあったので油断していました。


『シパダン島全景、水中のロウニンアジ』


 その後ダイバーの拉致事件、誘拐事件が頻繁に起き(日本人が被害にあわなかったので日本で大きなニュースにならなかった)

 いよいよマレーシアを諦め、別の楽園探しを始めました。マーシャル諸島など、これまで縁の無かったところにまで足をのばしま

 したが、結局肌に合うところは見つからず、興味のあるスポットには常に、海賊とイスラム教過激派の影がついて回りました。

 友人の勧めで、興味のない映画を観に行くことがなければ、本当の海賊の怖さを知らず、素人の軽率で身勝手な考えや

 行動から、多方面に多大な迷惑をかけたり、ひとつ間違えば命も落とし兼ねなかったと、今では身震いがします。

 結局私は、大自然に触れバランスがとれて良かったのはダイビングを始めた前半のみで、その後は少しずつ自分を見失い悪い

 状況に陥っていったのかもしれません。

 もちろん、その期間も趣味は他にもいろいろありました。カメラ、水泳、素潜り、音楽鑑賞(米国ベヴィメタルバンド RIOT)、

 パソコン通信、趣味的研究(歴史、軍事、酒類etc)等々。全般的に物事を深く考えずに、すぐ行動するため一般的に見れば

 順序が逆になってしまうことが多々ありました。カメラの知識が全く無いのに、いきなり、扱いが難しい2眼レフの水中カメラ

 を購入して始め、陸上の普通のカメラを手にしたのは、随分あとになってからでした。上手く泳げるようになったのも、素潜り

 が出来るようになったのも、スクーバダイビングを始めたずっと後の話です。


『RIOTのCDジャケット』


 そうやって趣味の為に仕事を仕方なく頑張って来た半生、40代後半にさしかかった2006年3月31日、愛してやまなかった

 パソコン通信がわずか20年で、その歴史に幕を降ろしました。そして時を同じく10年前の1996年に生産が終了した銀塩

 カメラの愛機が10年間の部品保有年限を終えました。愛機ニコノスRSは、お金の単位や価値に疎くなってしまった(ならざる

 を得なかった)バブル期真只中の1992年に購入したものでした。不本意ながら新たに購入したデジタルカメラのあまりの

 使い勝手の違いに大きなショックを受けました。これまで水中に響き渡った「カシャッ」と言う爽やかな音が無く、ファインダー

 は大きいのに反射して良く見えず、撮る楽しみと言うものが皆無なしろものでした。心にぽっかりと穴が開いたような寂しさ

 を覚え、年齢を重ねて行けば、きっとこんなことの連続なのだとある意味悟り、子どもの時、お年寄りが「昔は良かった」と

 言っていたことが頭をよぎり、何か満たされないもやもやとした気持ちで2006年4月の新年度を迎えました。



『世界初水中専用一眼レフカメラ ニコノスRS、専用レンズ、水中ストロボ』


 相変わらず、テレビをほとんど観ていなかったので、韓国の人気俳優、チャン・ドンゴン主演の超大作が日本でも公開される

 ニュースなど知る由もありませんでした。良く一緒にお酒を飲んでいた高校時代の友人2人から「チャン・ドンゴンの映画を観

 に行こう」と誘われたらしく(酔ってあまり覚えていないけれど誘いに同意したのだと思います)次に逢った時には前売り券と

 バッチを手渡してもらい、4月16日の日曜日に渋谷の映画館で観る約束をしました。


 そして運命の日、チャン・ドンゴンのバッチを身につけたまま電車に乗り渋谷の映画館へ

 冒頭部分の海賊襲撃シーンにいきなり打ちのめされました。これまでの自身の軽率なおこないを深く反省し、心の中で両親と

 娘に「ごめんなさい」と、心配や迷惑をかけてきたことを謝って暫しの感傷に浸っていた矢先…

 いきなり電光石火のように完璧な肉体美を持った上半身裸のカン・セジョンが登場しました。全作読破して「捨て作」が一作も

 なかった大藪春彦の小説に登場する「大藪ヒーロー」の良いところ全てを、この人は持ち合わせていると即座に思いました。

 そして極めつけに凛々しい白い制服にも倒れそうになり、軍人が仕方なく慣れないスーツを着た雰囲気に果てしなく共感を覚え

 その後は理性を失いながらも、子どものシンが、脱北に失敗して、北朝鮮の将校に狙われるシーンで何故かワルサーP38が

 使用され、カン・セジョンがシンを追いかけてロシアへ行き結局逃がしてしまった時の拳銃が珍しいポーランド製かも…でも

 コルトガバメントと見間違いかも…とよぎった以外は興奮して何が何だか分からず、迷彩服に着替えた彼が同期の仲間

 に作戦を説明して「帰りの燃料は無い」と言った時点から大号泣が始まり、恥ずかしいことに「おかあさんへの手紙」は見逃して

 しまいました。しかもいつの間にかUDT/SEALの戦闘服に着替えており、何と本物より本物らしいその姿、身のこなし

 「根っからの軍人です」と訴えかける気迫、完全にノックアウトされてしまいました。

 呆然自失で映画館を出た後、今日が私にとって記念すべき日になるだろうと咄嗟に直感し、何か「記念になるものを買わな

 ければならない」衝動に駆られました。その時まだイ・ジョンジェと言う名前さえ知らず、私の中では「海軍将校」、これまで

 の半生で通り過ぎた愛すべき全ての男性の集大成として、何一つの欠点も文句のつけどころも無い完璧な状態で目の前に

 現れたのでした。こんなことが、あって良いものか、夢ではないか、と何度も何度も疑いました。


『入場券だと勘違いした前売り券に付いてきたバッチ、今日の記念にと購入した愛の石(実物大)、RICHIE KOTZEN のCD』


 衝動買いしたのにすっかり気に入って、これを聴くと条件反射的に当時のことを思い出す曲を紹介します。

 RICHIE KOTZEN 

 1回目で「おかあさんへの手紙」を見逃したことが悔やまれ、翌週から、2回目、3回目と今度は近くの映画館へ通い始めました。

 そして回数を重ねる度に、その内容の素晴らしさに、感動を深くしたのは言うまでもありませんが、何よりディテールに

 こだわる私にとって「涎垂もの」が次々登場し、それらを眺めるだけで飽きることは永遠にないと思えました。

 韓国海軍の制服、特殊部隊で実際に使用されているサブマシンガンMP5、タイ空軍から借りたと言うヘリコプター シコルスキー

 H-60、そしてゾディアックのゴムボート等々…私はあくまでも平和主義者ですが、モノとしての魅力を感じずには

 いられない品々がリアリティを醸し出していました。そして初めて、本など読む必要はなく観るだけで十分と思えた作品でした。

 冷静さを失いながらも気になって仕方なかったワルサーP38とポーランドの拳銃を確認する目的もありましたが、とにかく、

 何度も何度も彼に逢いたかったのが一番の目的でした。そして彼には無関係なシーンではありましたが子どものシンが北朝鮮

 の将校に向けられた拳銃は、やはりワルサーP38に間違いありませんでした。最近ではルパン3世愛用で有名ですが、

 第二次世界大戦直前、ヒットラーがワルサー社に陸軍制式拳銃の開発を依頼して作らせ、結局彼はこの拳銃で自殺すること

 になるいわくつきの拳銃です。実際に北朝鮮の将校が持つのは不自然なこの拳銃を、あえて幼いシンに向けることが、

 私にとっては作者の強烈なメッセージと受け止められたのです。

 そして、ロシアでカン・セジョンが使用したのは、やはりポーランド製、ラドムVIS wz1935 に間違いありませんでした。

 ポーランドはドイツとロシアに挟まれ、繰り返し国土や国家主権が失われる危機に翻弄された歴史を持つ小国です。ラドム

 造兵廠がポーランド軍用に製造していたVIS wz1935は 1939年ドイツ軍の侵攻により接収されてしまい、皮肉にもドイツ

 軍準制式拳銃として製造させられることになってしまいました。国も拳銃も周辺国の犠牲になった歴史を韓国の歴史と重ね

 合わせて非常に重要なシーンで、カン・セジョンにラドムVIS wz1935 を持たせたと言うのが私の勝手な解釈です。

 しかも射程範囲にいながら、あえて発射しない「名シーン」に相応しい、見た目にも非常に美しい拳銃です。


『ラドムVIS wz1935、ワルサーP38』


 一緒に観た友人2人の反応が良くなかったのには、驚きとともに大きなショックを受けましたが、冷静に考えれば人それぞれ

 嗜好があり、考え方が違い、歩んで来た道が違い、魂の故郷が違うのだから、万人に受け入れられるものなど無いと、すぐに

 気を取り直しました。そして私にとっては、タイフーンに巡り会うべくして過ごした前半の人生があり、その集大成として天から

 の授かり物とも思える作品なので、周囲や世間の評判など一切気にしないことに決めました。

 ところが、私を身近で支えてくれている人達(家族、親類、親しい友人)のほとんどが、タイフーンに共感してくれたので

 「何と恵まれた環境に生きているのだろう」と感謝と感激を新たにしたものも忘れられない想い出です。

 その後、大勢の心優しいジョンジェファンの方々と巡り会う機会も得て、益々充実した日々が送れるようになりました。

 この作品が今後もじっくり時間をかけて多くの人の心に響き、南北統一の実現ひいては世界平和に向けた足がかりになる

 ことを願ってやみません。

 次回、オ・ミンさんのセジョンgifコレクションMV HMバージョンが登場します。



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